「バジリスク ~桜花忍法帖~」リレーインタビュー第9回
キャラクター原案 せがわまさき
―原作小説『桜花忍法帖 バジリスク新章』を最初に読まれたときの感想はいかがでしたか?
せがわなかなかぶっとんでいるなと(笑)。忍法といっていいのかわからない新たな術もでてきますし、読んでいてとてもワクワクさせられました。もともと『甲賀忍法帖』は50年以上も前の作品。その続編を今の時代に書くにあたり、こう膨らませるのかというところで楽しませていただきました。
―八郎を描く際にはどのようなことを意識されたのでしょうか?
せがわ八郎と響は親の遺伝子ほぼそのままという印象を受けたので、性格の異なる弦之介と朧というイメージで描きました。八郎のキーワードは「拗ねた弦之介」ですね。思春期らしいというか、なんとなく拗ねた印象があったんです。一族の掟に縛られ、葛藤しているというよりは、あくまでも自分のことで思い悩んでいる。そして、悩みながらも自分の考えに従って行動しているので、わりと現代的な思考の持ち主なのかなと思いました。それを踏まえて、どこか苛立っている様子も意識しています。
—八郎の魅力はどんなところだと思いますか?
せがわとにかく真面目なところですね。一族からすれば自分勝手だと言えるんでしょうけど、彼なりの正しさ……己の道理をどう通すかを真剣に考えている。現代的に言えば、「いかに自分らしく生きるか」ということですね。結果として、一族のしがらみからは逃れられず、巻き込まれてしまうんですが、やはりどこか理想主義者なところはあると思います。
—では、響についてはいかがでしょうか?
せがわ響は忍のしがらやみや忍としての正しさよりも、自分の気持ちに正直かどうかを基準にしています。どれだけ仲間と価値観が違っていても、自分の気持ちを優先するタイプで、そこに疑いを挟むような子ではない。世が世なら恋愛体質と言われるかもしれないですね(笑)。八郎と同じく、響もわりと現代的なキャラクターだと思います。
—絵に落とし込む際にはどんなことをポイントにされたのでしょうか?
せがわ最初に描いた原作小説の表紙(上巻)では八郎と響が対になっています。八郎は拳をしっかり握りしめているのに対して、響は八郎に手を差し出している。八郎はその手を決して握り返さないんです。彼がより所にしているのは、実際の心境はさておき、あくまでも刀。一方で響は、当然八郎は手を握り返してくれると考えている。二人の対照性から、お互いに向き合わないという絵にしました。
—響の魅力についても聞かせていただけますでしょうか。
せがわ魅力はやっぱり一途に突っ走れるところですね。ただ、一途すぎてちょっと引いてしまうような危ういところもあって(笑)。この作品だとそれがかわいらしく見えるんですが、登場する作品が違えば、怖いキャラクターになってしまうかもしれないですね。普通ではないというところが、イコール魅力なんだと思います。
—アニメのキャラクターデザインに関して、せがわ先生のほうからリクエストされたことなどはありますか?
せがわどのキャラクターもそうですが、その辺はアニメの仕事だと思いますし、演出にあった表情をいれていただければそれでいいと思っていたので、特にこちらから「こうしてください」ということはありませんでした。
—では、甲賀五宝連の才蔵、式部、七弦、転寝についてはいかがでしょうか?
せがわ個人的には才蔵が一番好きで描きやすかったですね。彼が一番この中でおっさんっぽいじゃないですか(笑)。
おっさんやおっさんぽいキャラクターが好きなので。確か描いた順番も先代の甲賀五宝連から描いていったと記憶しています。細かいところだと、転寝はずっと寝ているから両側に髪の毛を垂らしておいたほうがいいだろうということで、この髪型になりました。式部の犀防具は関節の可動部を意識しながら全身鎧と面頬が入る部分に当たりを付けたという感じですね。細かい設定についてはアニメスタッフの方にお任せしています。七弦は原作に色白で目鼻立ちが整っている、ただし公家顔という表現があるので、わかりやすく男前の二枚目キャラクターというイメージで描きました。
—順番としては幼少期と青年期のどちらから描かれていったのでしょうか?
せがわメインの八郎と響は幼少期からでしたが、ほかのキャラクターは成長した姿を描いてから子どもの頃を描いていきました。別にどちらから描いてもよかったんですが、キャラクターが固まるほうから描いたほうがいいと思い、青年期から幼少期にフィードバックする形にしたんです。
—やはり印象的だったキャラクターは才蔵ですか?
せがわそうですね。やっぱり男前のキャラクターよりもちょっと崩れた……といってはあれですが、自分の好みの顔のほうが描いていて楽しいというのはありますね。別に男前や二枚目のキャラクターが嫌いとか苦手というわけではないんです。感情移入のとっかかりになりやすいというだけで。男前でもどこかにキズがあったり、何かに苦しんでいたりするキャラクターは入り込みやすいですから。
—伊賀五花撰についてですが、アニメ版と比べると涙がだいぶ大人びている印象を受けました。
せがわ涙は完全に自分の好みです。キャラクターが自分の術にどう向き合っているのかを考えたときに、涙はかなり割り切っているんですよね。自分の思考と関係なく、そういう術だからと受け入れている。実際はすごく複雑だからか、どこか演技としての色っぽさが垣間見えるんです。その複雑さを1枚の絵に落とし込むことはできませんが、そんな彼女がどう行動して、何を喋るのかというのは意識して描いていました。
—蓮、現、滑婆の三人はいかがですか?
せがわそれぞれ方向性が違っていて、個性がわかりやすいのでとても描きやすかったですね。蓮は少年、現は一見清純派のお嬢様と見せかけて……というギャップがあり、滑婆は頼りになるお姉さん。いい方向にバラけたかなと思います。現の布や蓮の拳銃などの設定は、それとなく提案させてもらって細かいところはアニメスタッフの方にお願いしました。アニメになってより魅力的になったのは蓮ですね。拳銃使いという、ほかのキャラクターとギミックの違うところが面白いなと思いました。
—このほかのキャラクターで描いていて楽しかったというキャラクターはいますか?
せがわ成尋衆の夜叉至は個人的に好きなキャラクターでしたね。実は大人の女性って彼女一人だけなんですよ。滑婆も大人ですけれど、年齢的にはまだ20代半ばくらい。どちらかというとお姉さんなんですね。夜叉至は大人の女性であることを強く主張できるキャラクターとして気に入っています。
同じく成尋衆の涅哩底王は、面白いという意味で好きです。ポイントは当然、眉毛ですね。最初は縦ロールではなかったんですが、アップになったときに天海と似てしまうかもという意見がアニメスタッフ側からあって、じゃあということで縦ロールにしました。きっとアニメーターさんも女の子じゃなくて、お爺さんの縦ロールを揺らすことになるとは思わなかったでしょう(笑)。ダメもとで提案しましたが、採用されてよかったです。
—では最後に、せがわさんがアニメ『桜花忍法帖』の今後に期待していることを教えてください。
せがわ八郎と響の今後と物語がどう決着するのか、そしてそれらがどう描かれるのかを楽しみにしています。