スペシャル

「バジリスク ~桜花忍法帖~」リレーインタビュー第11回
監督 西村純二

―最初に、原作を読まれたときの印象から教えていただけますか?
西村「これをアニメ化するのはやめた方がいい」と思いました(笑)。読めば全員がそう思うでしょうが、アニメ化にあたって危険な要素が大きなものとして二つありました。一つ目は、登場する忍術の多くが抽象的な技だったこと。「時間を遡る」という技が映像化しやすい部類に入るくらいですからね。ほかにも、成尋が八郎と響の瞳を見ても術にかからない理由を説明するところもそうです。成尋は、目で見たものを脳に伝達させないからだと説明するわけですが、でもそれは現在では一般化している科学や医学の常識ですが、八郎や響はそんな知識を持っていません。彼らからしたら、説明されても意味不明な事柄ばかりです。成尋衆の術も同様です。でも、説明したら「何!?」と驚かないといけないんです。しかも、八郎と響が発動させる「桜花」という術は物語の根幹をなすわけですから。そこは非常に危険な要素でした。もう一つは、原作では物語全編の2/3くらいまで主人公たちが登場しないというところです。八郎と響は相思相愛で、その恋愛が大きなテーマにもかかわらず(笑)。前編はほぼ、忍者同士の戦いと忠長の話なので。ただ、後編の途中から少年少女忍者たちが出てくるので、「この子たちが成長する話で2クール作る構成ならば」と思いました。

―主人公を登場させずに物語を展開させるのはやはり厳しいですか?
西村TVシリーズという連続物である以上、基本的に主人公は毎回登場し、周りの少年少女忍者たちにしても2話続けて出ないのは危険だと思います。「成長」という意味ではやはり、物語の展開として主人公たちが一定の変化を見せないといけませんから、主人公たちは毎話画面に登場して活躍しないとダメだというのが私の考えでした。

—『桜花忍法帖』は時代劇作品でもありますが、その点で意図したところを教えてください。
西村まず、昭和の時代劇風な絵面を多用したいとは思っていました。今でもありますが。もともと日本の映像文化は見得を切るのが好きなんです。

—特撮作品はまさにその典型ですね。
西村そうです、まさに。ロボット物も、登場したら必ず一度見得を切ります。それから、剣を抜いてズバッと敵を斬ったら一度ポーズを決め、すると後ろでドカーンと爆発が起こる。あれは時代劇で「残心」と呼ばれるものですが、あのスタイルを強調したいとは思っていました。私は、勝新太郎さんの『座頭市』や市川雷蔵さんの『眠狂四郎』、若山富三郎さんの映画版『子連れ狼』などを手がけた三隅研次監督が好きで。ああいった演出を真似たいという思いがあったんです。もちろんバジリスクならではの演出は意識した上で。例えば、『桜花忍法帖』は、TVシリーズのアニメとしてはかなり血の量が多い作品になっていると思いますが、それは三隅監督のような路線を狙ったからでした。決して藤沢周平さんが書いたような時代小説ではなかったわけです。具体的に言うと『子連れ狼』に、斬られて飛んだ首から見た景色を描くという代表的なカットがあるんですが、それは斬られた側の無念や哀愁といった気持ちを表現していて、今回の『バジリスク』には合うと思いました。なのでそのカットが頻繁に出てきています。できれば、見てる人が「『桜花忍法帖』といえば飛んだ首からの景色」くらいの印象を持てると楽しいと思っていました。それからもう一つ、古典的な日本の時代劇を参考にした絵があります。それは剣だけが光り、剣を持つ人たちはシルエットのように黒く、剣だけが戦っているように見える、というカットです。これも1話から続けていて、後半に忠長が忍者と戦うシーンでは、光って動く剣に黒い影がひっついているような印象になっています。見る側だけではなく作り手の気持ちも、剣を持つ人間を離れ、日本刀に集中してしまうような剣戟を描きたいと思っていました。

—抽象的な忍術を映像化するという点ではどのような工夫をされましたか?
西村そこは優秀なスタッフがいましたから。僕はいろいろと口を出すだけでした(笑)。亜空間を生む「金剛楼閣」という術については、僕が伝えた事に対して、格子状に流れる線が壁になっていて曼荼羅が回転している、という絵が上がってきたんです。面白いと思ったので採用はしたんですが、ただ、紙の上のことなので実際にどういう画面になるかはその時点ではわかりません。そこで今度は、曼荼羅やキャラクターといった素材を用意して、全体の構成を撮影監督の北岡(正)さんに伝えます。確かそのときは、北岡さんが助っ人をお願いした後輩がイメージを膨らませて、オレンジ色の空間にチリチリした感じの素材をはりつけた画面を私に見せてくれたんです。

—総作画監督の牧さんから、監督も岩畑(剛一)さんと一緒にいろいろとアイデアを出し合っていたとお聞きしました。
西村いや、それも口だけです。岩畑くんって、くすぐるといっぱい(アイデアを)吐くんですよ(笑)。魔神は本当に素晴らしいデザインでした。才蔵の目玉に関しても、シナリオを読むと意思を持った瞬間があると書かれていたので、目玉がぎょろっと見るみたいなギミックがほしいといったことを岩畑くんに伝えるわけです。そのとき、描いて説明することもありますが、自分が描いたものを設定にすることはしません。やっぱり、専門家であるプロの知識と技術で作ってもらった方が絶対にいいものになるので。やっぱり、客観的に見ることが監督にとっては必要な作業なんです。

—残るは最終話だけとなりましたが、視聴者の方に見どころを紹介するとしたら?
西村23話までの無茶振りをまとめられるのか、ですかね(笑)。叢雲の内部で金剛楼閣と時逆鉾が同時に発動して時空が入り混じり、八郎と響がパラレルワールドに出現する、というのが23話のラストでした。そこで、八郎と響は自分たちのことを知らない成尋衆と対面しますが、響が「ここがいずこの世だとしても成尋にみすみす蹂躙されるのを見過ごすわけにはいかない」と言うと八郎は、自分たちは成尋衆の術を知っているが相手は八郎たちの技を知らないので「勝てる」ということを豪語するんです。ダビング作業をしていたら、そのシーンを見た音響スタッフが「こんなこと言う主人公を初めて」と笑っていました(笑)。でも、最終回の引きとしてはうまくいったと思っていて、勝てるのか勝てないのか、八郎と響がどうなるのか、そういったフラグが回収されていく様を楽しんでほしいと思っています。さらに言えば、『桜花忍法帖』全体としても、回収しなければいけない謎を最終回に残しているんですね。前作からのつながりや、八郎が成尋をいかに倒すのかといったところも。その点に関しても、うまく最終回まで引っ張ることができたと感じているのでぜひ期待してほしいと思っています。

—2クールかけて描いてきたすべてが、いかに最終回で解きほぐされるのか、見届けてほしいですね。
西村見ている人が面白がってくれるといいなと強く思っているんですよ。今までで最高の「次回どうなる!?」を23話で作ることができたので。そして、それに見合う結末を用意できたとは自負しています。まさに「お楽しみに」という気持ちですね。

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